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都営6000形
都営6000形は、1968年に三田線が最初に開業した際に投入が開始され、抵抗制御にセミステンレス製の車体を持つ、三田線が東急目黒線に直通するまでの間、長年主力だった車両です。最初は何度にも渡った延伸に合わせて1976年まで製造されたので、1から4次車まで分類され、運転設備などは、当時予定のあった東武東上線の直通に想定された作りとなっています。当初は赤帯が巻かれていましたが、のちにラインカラーである青帯に変更されました。
冷房は当初は付けられませんでしたが、6300形の投入に伴い、冷房のつけられなかった1次車は置き換えられましたが、合わせて冷房を取り付けられた残りの編成は、1999年の6300形3次車に置き換えられるまで活躍していました。もともと、この残った6000形で東急目黒線直通も検討はされましたが、その改造にあたって多額の費用がかかることが判明したのです。
ただ、最後まで残っていたグループは車齢がそこまで高くはなかったので、一部の車両が秩父鉄道、熊本電鉄、さらに海を渡ってインドネシアの国鉄傘下にある鉄道会社こと、PT KAIへ譲渡され、このうち国内ではまだ活躍しているほか、千葉県佐倉市にある「佐倉草ぶえの丘」にも2両が静態保存されています。
インドネシアのPT KAIに譲渡された6000形は、なんと本家よりも先だって急行運転と8連運転を実施しました。
秩父鉄道に譲渡された方は、5000系に改番され3連化。
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